水槽が一つ余っているのでベタ飼おうかな〜…と本気で思い始めている中村です。

なぜペットを迎えることになったのか、理由を聞くと

「運命感じた」

と答える方が多いですね。

何かビビッと来るものがあるのでしょうか。
と言うのも、私は生まれてこの方運命は感じたことがありません。(人間相手にならかなりある)

あまりよろしくない言い方かもしれませんが、今まで家族になったペットたち、特に保護犬2頭に対しても「これは運命!この子以外に考えられない!!」と何か特別な思いを感じて迎えた訳ではありません。

うまく言えないのですが、流れというか、特に「この犬種がいい!」とか「サイズはこのくらい!」とか希望があったわけではなく、その時に一番譲渡の可能性が低そうな子(我が家で責任持って飼養できる範囲の)を引き取るという基準で新たな家族を決めていました。
特に先代犬に関しては長いこと施設にいたいわば貰い手のつかない「余り物」のような子でしたのでとにかく「一刻も早くうちに連れて帰りたい」という気持ちが大きかったです。
「可愛い」とか「大人しそう」とか、恥ずかしながらそんな感情は後回しでした。

その先代犬を譲り受ける際はなんやかんやあったので、それはまた後日シェアするとして…

こんな感じで、第六感的なものには頼らずに家族を迎えた私ですが、先日運命を感じたことがありました…。

始まりはHPの画像

現在、一緒に暮らしているらんさん(雑種_♀)は昨年の6月に、地元の保護施設からやってきました。
これまでの1年半で撮ったらんさんの写真が溜まりに溜まりまくり、写真フォルダを整理しているととある画像が発掘されました。

彼女が施設にいた頃のHPのスクショ画像です。

まだ新しい飼い主さんが見つからずに、里親さんを募っている頃の画像でした。
誰にも心を開いておらず、非常に可愛らしいです。
ビビったら伏せてしまうのは今でも変わらんなぁ…と物思いにふけてしまいそうになる可愛さです。

譲渡先が決まるとすぐにHPから写真が削除されるので、気になる犬がいるとスクショして保存するのがこの頃の私の癖でした。
今でもたまにやってしまいます。
もう1頭引き取る予定なんてないのにね!!!怖い!!

懐かしいなぁ〜と見ていると、捕獲された場所も掲載されていたので、

(らんさんどんなところで捕まったのかな〜)

と興味本位で調べて見たのです。

Googleマップ様は偉大

番地までは流石に書いてありませんが、かなり細かい場所まで記載がありました。
その住所をGoogleマップ先生で調べてみると、小さな集落がポツポツっとある9割が森林の地域でした。

うわ〜こんな山ばっかりなところでよく人間に見つけてもらえたなぁ…と感心して少し画面をスクロールしてみると…

なんと…すぐ近くに県境がありました。

らんさんが捕獲されたピンポイントの場所はわかりませんが、そんなに広い地区でもないので成犬の足であれば1日で移動できてしまう範囲です。

県境を越えるまでは一番距離のある場所からでもほんの3㎞ほどでしょうか。。
その地区は、私が住む県の端っこの町のそのまた端っこ。
隣県と接するごく小さな面積の中でらんさんは捕獲されたのです。

これは何を意味するかというと、

もう少しらんさんが歩き回っていたら、今こうして私の側で寝息をたてていないということ…。

後ろからやってきた運命

らんさんが保護されたのは私設団体のようなボランティアさんではなく、県が管轄する動物愛護センターです。
県内で捕獲・持ち込みされた犬や猫のみを受け持つのがこの施設の役目です。
県外で保護された子がやってくることはまずないのです。

らんさんがもし、あと数キロウロウロして県境を越えていたら、そこは隣県の管轄地域となり、隣県の行政機関が捕獲していたことでしょう。

ここで捕獲できていなかったら、らんさんと私は出会えていない…。

そう思った時に、自分の中で運命が後ろから追いかけてきた音がしました。

運命を感じたから幸せがあるわけではなくってよ

人はよく、出会った時や初めて見たときに運命を感じますがそれはあくまで「第一印象」という言葉をオシャレに着飾った感じなのであって、第6感でもスピリチュアルでもなんでもないと思うんです。

運命を感じたからその子に決めたわけではなく、幸せに一緒に暮らしたいと思ったから迎えたのでしょう?
そして運命を感じたから幸せになったわけではなく、幸せになるよう努力しているから今の暮らしがあるんだと思います。
眠いのに朝の散歩行って、なんとか早くに仕事を片付けて家に帰って、どのフードが体にいいか目が血走るほど調べ上げて、犬が具合が悪くなったらこっちも具合悪くなるんじゃないかってくらい心配になって病院に駆け込んで。

犬を飼ってるなら当たり前にできて当然と思われるかもしれないけど、それって全部小さな努力の塊なんですよきっと。
運命を感じてペットを迎えても、途中で放棄する人はたくさんいますし、飼いたくてもその努力ができずに我慢している人いっぱいいますから。

誰にでもできることじゃないから、「運命感じた」って言葉でまとめるには勿体無いと思います。
普通、運命感じただけで息を引きとるまで愛そうとする責任生まれないですよ!

もし感じたならそれって運命じゃなくて「最後まで愛する覚悟」が生まれたってことです。

今思うと私は、2頭とも初めて会った時は運命を感じなかったけど、あの時最後まで愛する覚悟は生まれたなぁって思うんです。
年齢に合わせたヘルシーなもの食べて、天気のいい日はいつもより長めに散歩して、
ふかふかの場所で寝て、特別なことなんてしなくていいから、みんなで穏やかにその日まで生きようね、ってビームを彼女たちに伝えたような気がします。

そして、後々今回のように出会えた奇跡を知って「運命だなぁ」って思うんです。

ベートーヴェンの「運命」ってあるじゃないですか。
交響曲第5番。
最初の「ダダダダーンッ」って、運命が扉を叩く音という説があります。(実際はこの説怪しいらしいけど)
運命は本来、顔も見えずに後ろからノックしてくるんだと思います。
最初はそれが運命だとは知らなかったけど、幸せになるための小さな努力を積み上げてきたから

「あなたが運命だったんだね」

って、後から判明するんじゃないかなーって思いました。

Wikipedia先生